みだれ
思いは千々に乱れる。
あとひとつだけ許せたらわたしはすべてを受け止める事ができると思う。
でもそれももうどうでもよくなってきている。
なにごとにも解決策はある。
妥協とか怠惰も選択肢のひとつ。
そもそもがわたしなんてたいした人物じゃない。
きまり
なんか条件も提示されず、
というかそもそもやりたいことと違う事をふられ、
でももうわたしの人生なんてここが限界だってあきらめてるから、
なんでもいいやという思いでいる。
でもなんかやっぱ苦しいや。
もがいてる。
しゅうでん
- 作者: フジモトマサル
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/11
- メディア: 単行本
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フジモトマサルの絵に漂う間が好きなのだけど、
文章もなんだからたゆたう感じというか、
なにげないのだけどもはや私たちが通常使う事は無いような
久方ぶりに出会う言葉をあちらこちらで使用していて、
でもそれが妙に心を落ち着かせる。
心が沈みっぱなしで困っているのは相かわらずなのだけど、
それを受け入れるしかない状況で、
表面的には怠惰にならずに、
でも心はひっそりとこういう本を眺めて暮らしてる。
っていう毎日も今は仕方がないのかもしれないと思った。
らっきーですたー
相当にかわいい。
にほん
「白州正子 神と仏、自然への祈り」展@世田谷美術館。
高齢のお客様が多かった。
確かに白州正子てだれ?ってかんじではあるよね。。
でも日本人というもの、そして日本人の美点、日本の文化のすばらしさを
白州正子の眼を通して確認できた気分。
そして「お年寄りではなくて、自分たちぐらいの世代が観るべき」
って言ってたけど、その通りなのかも。
よくもわるくも「日本教」的なものって確実にあって、
無宗教なんかでは絶対になくて。
それがすばらしいものを作り出しもするけど、
今の世の中はどうなんだろう。
折しも今日は都知事選で石原慎太郎が当選。
理論的に考える事ができず、感情的であって、
現状を変えようとしない、受け入れる文化が
現在の日本を悪い方に導いているように思う。
声が大きければいいわけじゃない。
仏を受け入れるのに神の力を借りたなんてすてきだよ。
会場を観ていてこんなにすてきなものが日本にはたくさんあるのに
本当どうしちゃったんだろう日本人は。と思った。
「きれい」とかで済ませてはいけないものが確かにひそんでいた。
そして白州正子は手元におくのであれば、かわいらしくてやさしいものが
好きなんだなと感じた。
狛犬とか十一面観音とか。
私もたくさんいろんな場所に行って、いろんなものを観て、
考えて、それを文章にすることができたらいいのに・・。
まず言葉をもっと知ることだな。