ふれ

「フレンチ・ウィンドウ」展@森美術館

地震の影響で22点展示できず。
あんなに人が居ない森美術館はじめて。
あれだけ人がいなくて、現代美術の展示をあの広さの会場で
観る事ができると海外の美術館みたくて楽しい。
得した気分になってしまった。
はい。不謹慎ですね。はい。


私がいちばんみたい展示。
現代+ちょっと頭使う+シニカル+でもユーモアにあふれてる。
ほんと楽しかった。


ほとんど知ってる作家がいなくて。
つくづく現代美術を不勉強であると思い知る。
フィリップ・ラメットとグザヴィエ・ヴィヤンくらい?


美術史をふまえたうえでその中に介入していこうとする
姿勢の作品が多かった。
あと人が共感すること、共通の意識のもろさに気づかせようとする作品。
そして皮肉屋!!
とてもフランスらしい作品たち。


改めてデュシャンの作品をながめる人々をばかばかしいと思ってしまった。
本当に偉大な人。賢くて。スマート。


ヴァレリー・ジューヴのコンポジションは建物の壁を写した写真と
人の顔しか写っていないのになぜかすごく胸が痛くなった。
なんだったんだろうあれ。


展示されていなかった作品たちがどんなだったか知りたい。
でも日本全国の美術館が大変な思いをしている中、
展示ができただけでもすごいことなんだと思う。
見る側としてはそれだけでもありがたいと思った。

げんそう

「グランヴィル 19世紀フランス幻想版画」展@練馬区立美術館


ゆっても行ったのは週末なのだけど・・。


鹿島茂コレクション1なのだそう。
あの人の文章わかりやすくて面白くて好きよ。


グランヴィル・・グランヴィル?
『ラ・カリカチュール』にドーミエらと同じ時期に
風刺画を描いていたりしたにも関わらず
カタログで鹿島茂に「グランヴィルがいなかったら
美術界が変わっていたかというと答えは否である」
といった趣旨の文章を書かれる始末。


でもトランプが戦争をして飛び交う様や、
花が人格を持っていて、芥子の花は虫を殺していたりする様子は
今回指摘されていた通りキャロルなんかには
とっても影響はあったんじゃないかと思う。


お上に一生逆らえないグリーンピースたちとか
孤独を愛するなんか哀れな熊とか。


点数が多いうえに1点1点のサイズが小さいので見るのが大変。
確かに自分のものにして部屋でゆっくりにやにやながめていたいかも。


そして堀江敏幸の小説のタイトルにもなっている「熊の敷石」の絵が。
思いがけない出会いにびっくりする。
ラ・フォンテーヌよね。日本語訳は出ているのかな。
楽しそうな絵が多かったから読んでみたい。


結構人が居て。
なにも考えなくてよくていろんなこと忘れて
ただ目の前の作品の世界を楽しめばいい展覧会も
求められているのかなって思った。

熊の敷石 (講談社文庫)

熊の敷石 (講談社文庫)

みらい

あのこのしんじたたしかなきもちは
きっとぼくをかえるだろう


DOMMUNEFISHMANS聴いてる。
しずかに。
ゆっくりと。
しあわせだ。


七尾旅人の声はなんだかとてもしっくりくる。


じゅうねんたってもきっとなにも変われないけど
でも変われない事ですてきなこともあると思う。

うんどう

ずっと皇居周りを歩いたりしてたんだけど、
やめちゃってからなんとなくからだがなまっていて。


でもわたし運動超苦手。


とりあえず歩こうと出発。


したらなんか本気度が高いチャリをもってきたおばかさんが。
乗れないよ!
だいたい足届いてないし!


結局チャリに乗って止められなくて横倒しになって
しげみのなかにからだごと倒れた!!
もーーーっ!!
涙目。


しかしでもちょっと走ったらすぐ疲れたり、
足がわらいだしたり、
つくづくわたし運動してなかったんだなあって実感した。


これからは週一ぐらいでちょこっと走ったりしようかな・・。
6割歩くとか・・。

こんなにも死をぎゅっと抱きしめながら生きることって
いままでになかったからなんだかとてもパニック。


「ふつう」に暮らすことを意識すればするほど
動きがぎこちなくなりなにをするにも理由をつけたりしてしまう。


そんななかで多分ほんとうに「ふつう」に暮らしてる人がそばにいて
でもいちおうなんとなくわたしのことは守ろうとしてくれていて
このひとはすげえな、と思う。


かたやなんだかいつも冷静に見えて
ちゃんと考えてて、おまけに運動とかもしてて
強そうに見えてた人がきもちから先にやられていってるのも見てる。



でもやっぱいろんなこと考えちゃうや。
原田郁子さんが「ニュースは見すぎちゃいけないね」とうたう。
その意味を知る。
みんながいろんなことを同時に言うから、
知りたいことも知りたくないこともどんどんどんどん頭のなかに。


考えることは放棄してはいけないと思う。
ずっとそう教わってきた。
知ることを放棄して「知らなかった」というのも
褒められた行いでないことはわかる。


でもいま仕事してても、飲みに出かけても、美術館に行っても、
映画を見ても、本を読んでも、はんこを彫っても、
苦しい。

だめ

だめなことはいちばんわかってて
わたしあなたにそうやってうえからもの言われるの好きじゃないし
どうにかしようってがんばったりがんばらなかったりした
わたしの人生をあなたはなにを知ってるから
そんなこと今軽い気持ちで言ったの

って思ったから泣いて電話きった。


もうちょっとさきにのばそうか。


こんなままじゃだめになるねきっと。